(2)七夕の花くばり
◇和田では、昭和四十年ころまで「花くばり」
![]() |
六日の朝、山から笹竹をきり、里芋の葉の露を集め墨をすり、短冊に星の名や願い事を書きます。
里芋の露で書くと字が上手になるといわれ、早起きをして一生懸命露を集めたものでした。
竹に、願いをしたためた短冊を付け玄関先に飾り、そのかたわらにむしろを敷き机を置いて、その上に野菜や果物のほか、キュウリやなすに足を付けトウモロコシの毛を尾にした馬を供えました。
また、勉強ができるようにと、本や教科書を置いたりもしました。
和田では、七夕の行事として昭和四十年ころまで、子どもの間で花くばりが行われていました。
この風習は、いつごろから始まったのか不明ですが、山から採ってきた草花や、家で栽培した花をお互いに交換しあうものです。主に女の子の遊びでしたが、昭和三十年代、花がおもちゃや漫画本に変化していったころから、男の子も参加するようになったようです。
この花くばりに特に関心もなかったのですが、あるとき、花くばりにはどんな意味があるかと聞かれたことがあり、調べてみましたら、実は和田以外では見あたらない、大変めずらしい行事【飯田市美術博物館・桜井弘人(さくらいひろと)さんの話】だったということがわかりました。
水野都沚生(みずのとしお)氏は、『秘境伊那谷物語』の中で、この花くばりのことを次のように書いています。
「・ハタを織ったその布の美しさを見せあった形の名残が花に変移した。 ・篠(ささ)につける短冊は本来衣服を吊るしたものから色紙に変わったものだからその美しい模様をくらべたことから花に変移した。 ・花は、「草木染め」の染料の素として摘花(てきか)したもので、織りあげた布を染めた昔のしきたりが形だけ花として残ったもの」
いずれにしても、子どもの遊びだった花くばりは、女性の重要な仕事のひとつだった裁縫(さいほう)や機織(はたおり)と深い関係があったことはたしかなようです。
七夕祭りは、日本古来からの棚機女信仰(たなはたづめしんこう)に、中国の星祭り(乞香奠=きっこうてん)が習合(しゅうごう)したもの(仏教民俗辞典)といわれ、江戸時代に農耕儀礼や祖霊信仰色(それいしんこうしょく)の濃い形で民間に広まりました。
また、飾りは正月の松飾りと同じ神の依代(よりしろ)であり、七夕は単なる星祭りでなく、祖霊祭りである盆行事のひとつであったのではないかと考えられています。
夏の夜、夕涼みをしながら、空に横たわる天の川の牽牛(けんぎゅう)と織り姫(おりひめ)の変わらぬ愛を思い、ロマンにひたってみるのもいいものです。

























