店主プロフィール
店主プロフィール
日本三大秘境と言われる信州遠山郷で、遠山ジンギスと山肉(野生食肉)の製造販売をしております、
社長の鈴木理です。あんまり若くないですがスズキヤの若旦那と呼ばれてます。
子どものころから動物好きで、サファリパークのオーナーになりたかったんですが、
今は、野生の肉を売ってます。(2010年現在)
肉屋の甘えん坊
のこぎりの目立てをやっていた鈴木理孔と、魚屋の娘だった智恵子のもとに、
昭和35年、1850gの当時としては超未熟児で生まれました。
当時、肉屋を始めて数年で、スズキヤにとっては創業の苦労の真っただ中だったと思います。
未熟児で生まれた小さくて色白の甘えん坊。
保育園に行ってからもおっぱいを吸っていたみたいですし、
少し大きくなってからも、甘えん坊はプラモデルを買う人、作るのは4つ上の姉。
甘えん坊は木の馬に乗る人、作るのは従兄・・・といった具合にグデグデに甘えて、
小学校5年までおねしょをしてました。
そのせいなのか、学級委員長はよくやりましたが、生徒会長までにはなりませんでした。
2番手、が好きだったのかも知れません。
地元の高校を卒業後、駒沢大学に進学
少林寺拳法で体と精神を鍛え上げ、東京都の大会で準優勝したこともあります。
杖道(120cm位の棒を使った古武術)ではフランスに講師としていきました。
学生時代には四国一周・九州一周・スペイン一周の貧乏一人旅をし、
地域のにぎわいを見て回りました。
東京の肉卸問屋に就職
大学卒業後、食肉専門学校を経て、東京の肉卸問屋に就職。
肉屋としての修業をしていましたが、
母の病気を機に、遠山に戻り、スズキヤで働き始めました。
南信州で90%以上のシェア
スズキヤの商品で、特に遠山ジンギスという味付けジンギスカンは、昔からよく売れて、
子どもの頃は、お客さんがいつまでも来るので、
電灯に布を巻いて、外から明かりがもれないようにして、夕食を食べてました。
当時は、遠山郷の和田宿は夜まで賑やかで、まさに、寝る間もない忙しさだったようです。
よく売れるので、売ってみたいというお店があると、
山の中の遠山郷まで来ていただいて商談して、
そのうちに、南信州では売ってないスーパーや食料品店はないくらいになり、
90%以上のシェアになりました。
第二の創業 <二代目の創業>
遠山郷は、江戸時代の年貢が米ではなくて材木でした。
林業で生きてきた地域ですが、山が経済的価値がなくなって、過疎化が進んで、
スズキヤに戻ってからは、「過疎との戦い」です。
商売以上に「村おこし」を続けました。
その格闘の中で、経営者として目覚め「一隅を照らす」の志をもって、
地域の雇用のために、数億の借金をして、人口千数百人の村で、
50人が働ける衛生設備の整った食品工場を作りました。
山ん中の小さい肉屋の大きな挑戦です。
一隅を照らす
どういうわけだか結婚はわりあいに遅く45歳。(ちなみに相手は薬屋の娘で児童会長になれた女性です)
46歳で社長に、49歳で男の子の父親になりました。
そして、今は、大きな挑戦の真っただ中で、スズキヤにとっても、私自身にとっても、
最大の転換期と言えると思います。
1話完結の奮闘記が毎日書けそうなくらい、グルグルドタバタなんだに。(2009年現在)
お客さんにとってオンリーワンの会社に
「社長」になったからでしょうか。
「父親」になったからでしょうか。
もう、2番手が好き、なんてことは微塵も思いません。
スズキヤのお客さんにとって、オンリーワンの会社にしたい。
未熟児で生まれた子どもを育てながら、
スズキヤの味を作り守り育ててきた創業者夫婦のように、
私も、山村の「一隅を照らす」生き方をすることで、
今の日本を立て直し、子や孫が暮らしやすい日本にしていきたい、と
強く強く思っています。
若旦那と鈴木屋物語
肉というものに対する真剣さや、頑固な職人気質と、楽しいことにはとことん突き進んでしまう鈴木理社長の素顔と、肉の鈴木屋の歴史を、女房お志保が語ります!
遠山のジンギス文化、
山肉文化を地場産業にー
人の数より獣の数のほうが多い山ん中のの小さな肉屋で、
今日も1日おいしいお肉をつくっていきたいと思います。
バックナンバー:過去の若旦那のお便りは >>こちら からご覧いただけます。