青崩越えの旅人を監視した「梁木島番所跡」の今
こんにちは! スズキヤの新人スタッフ猪蔵です。
三遠南信道の工事が進み、真っ直ぐで広い道路がどんどん建設されていく傍らで、かつての秋葉街道はどうなっているのでしょうか?
このブログでは、しばらくそのレポートを連載していきたいと思います。
まずは、スズキヤのある遠山(飯田市南信濃)から、青崩峠へ向かうルートに沿って歩いてみましょう。
こちらは、青崩越えの人と荷物を監視した「梁木島(はりのきじま)番所」跡(2024.11.19撮影)。民宿「島畑」さんの近く、小嵐(こおろし)川の西岸に残る建物です。
大阪夏の陣の後、その落ち武者の通行を監視するために遠山氏が青崩峠のすぐ下に設置したのが始まりといわれています。
元和4年(1618)に遠山氏が改易されてからはその子孫が番人として住み続け、通行する人や荷物を改めました。
天明7(1787)年3月に起きた山崩れで現在の場所に移転。明治3(1870)年に番所の役目を終えた後も住宅として利用されました。
『秘境はるか 塩の道秋葉街道』(1993)には、当時住んでいた老夫婦の写真が掲載されていますが、現在は無住となっています。
ちなみに、遠山氏は梁木島番所と同時に天龍村平岡へ「満島番所」も設置しました。こちらは天竜川で運ばれる物資を監視していました。
満島番所だった建物は、現在も遠山氏の子孫の方のお住まいになっています。